2012-04-22

水泳技術の歴史を調べる


水泳には30年間、競技者として関わった。泳ぎ始めた小学生の頃から用語に横文字が多いのが気になったが、しまいに引退する頃には練習メニューが英語で書かれる時代になっていた。アメリカやオーストラリアといった英語圏の水泳大国から学ぶことが多いのは分かるが、義務教育で英語を習っても話せる人がほとんどいない国で英語でメニューを書く意味が理解できない(欧米か?!) 。
日本の競泳は現在でも国際的な競技力を保っているが、戦前まで遡れば世界を席巻した時代があった。その頃ならメニューも堂々と日本語で書けていたろうに。

人類にとって、泳ぐのは特別なことではない。それ故に技術は地域により様々で、スポーツとして体系化されていないこともある。例えば1875年、横泳ぎが最も速い泳ぎ方だったイギリスの競泳に「トラジオン泳法(Trudgen Stroke)」という、横泳ぎのあおり足(Scissor Kick)にクロールの両腕を組み合わせた技術が導入された。競泳史上最大の技術革新と言われるが、基になったのはイギリスの船員、ジョン・トラジオン John Arthur  Trudgen(1852-1902)が南米の先住民から学んだ泳ぎ方だった。これにより、それまで平泳ぎで行われていた水球のプレーも様変わりしたという。トラジオン泳法が発展した結果、今から100年ほど前の20世紀初頭、今日最も速い泳法であるクロールが完成した。
しかしこのクロールも、日本の古流の泳法では「小抜手」または「バタ足小抜手」と呼ばれ、技術的には西洋のクロールが確立する以前から存在していた(ただしそれほど速く泳げる技術とは考えられていなかった)。

泳ぐ技術が変われば、泳ぎを教える方法も変わる。今の日本では、最初にクロール、最後にバタフライを教える。しかしクロールが完成したのはほんの100年前、バタフライが種目として確立したのはわずか50年ほど前のことだ。それ以前は、どちらも教えられる由もない。
ちなみに大正初期の日本では、最初に平泳ぎから教えるのが主流となっていた。アイスランド、スウェーデン、ドイツ、スイスといったヨーロッパの緯度が高い地域では、今でも最初に平泳ぎを教える。平泳ぎは腕を水面から上げることがなく、頭を水面から上に保つことができる。冷たい水に落ちた時、頭が水没したら命取りだ。平泳ぎは余暇活動としての水泳の域に留まらない、生存に必要な技術でもある。

話が長くなった。水泳技術の歴史を調べることはライフワークになっている。

【欲求】★★★レベル3
とはいえ、趣味で知識を集めるのは物欲に近いような気がしてならない。

水泳そのものについてはここまで。続く 水泳技術の歴史を調べる(板子乗り編) で、日本の伝統的なボードサーフィンに触れる。

では、前振りを。
江戸時代に発達した水術(日本の古流泳法)には、泳ぐための基礎的な技術だけでなく、救助法や波乗りといった応用技術も含まれていた。日本赤十字社の水上安全法はその伝統を受け継いでいる。
波乗りは残念ながら途絶えてしまったが、記録からその様子を知ることができる。その完成形はボディサーフィンで、板子は初心者向けの補助手段と考えられていた。

今から98年前、大正3年(1914)に出版された「游泳法と其實際」(津崎亥九生著、敬文館)には、競泳、遠泳、飛び込み等と並んで「濤潜、濤乗(波潜り、波乗り)」が挙げられ、当時日本で行われていたボディサーフィンの技術について記されている。


波潜りについてはこうある。
「(前略)濤頂の将さに崩れんとするときに、頭部を下げ兩輪伸を用いて濤を貫くのである。(以下略)」
今でいうドルフィンスルー。兩輪伸とは、腕は今で言う平泳ぎ、脚は扇足(あおりあし)の動作を組み合わせた古流の泳法である。 


また波乗りについてはこうある。
「濤乗には、浅瀬にてするものと、底深き所よりするのとの二種類がある。
浅瀬にて乗るには、濤頂が凡一間位の後方に來たときに足尖にて水底を蹴つて足尖と濤頂に入れ兩臂を前方に伸ばして躄脚を急速に行ひ、十分に濤に乗り切れたる時に蹙足を止めて之を伸ばし、濤頂と共に進退するのである。(第八十三圖)然れども未熟の間は濤に捨てられて取り残さるゝ事があるから、其時には一方の臂を前方に伸ばし、他の臂にて小さき抜手を用ひて其前進を助くるがよい。
(中略)
深き所にて游ぎ居るときに乗らんとするときには濤頂が體の後方三尺位の所に來りて體の後半部上揚するとき、體の前半部を少しく下げて両臂を伸し、兩脚を伸すや直ちに小さき蹙足を用ゐ、全く乗り終りたるときに蹙足を止めて脚を伸ばす。」
蹙足はバタ足。片腕を前方に伸ばし、反対の腕でクロール(抜手)をする動作や波に乗った姿勢は、現在のボディサーフィンと同じ技術である。図に描かれた、腕と脚を伸ばした抵抗が少ない姿勢で波頂とともに前進する泳者は、安定すると同時に躍動感があり、当時の技術の高さを示している。
中略した部分には板子を補助に用いる方法が記されているが、それについてはもう1冊の本から詳しく紹介しよう。


12-05-13 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
波乗像@湯野浜

向井宗之の「水泳術教範」(帝国尚武会、明治45年)に、当時江ノ島付近で行われていたボディサーフィンの様子が記されている。テイクオフの補助に板子を使うため、板子乗りとも言える。水泳技術との関連は不明。

向井宗之「水泳術教範」(帝国尚武会、明治45年)P.100

増補 鎌倉の海」編集委員会の「増補 鎌倉の海」(鎌倉市海水浴場運営委員会、平成6年)に収録されている『座談会「愛されて100年 鎌倉海水浴場」』から、明治末〜大正初期には、由比ガ浜などでボディサーフィンが行われていたことが分かる。純然たる鎌倉生まれの者は、波乗りに板は使わなかったという。こちらも水泳技術との関連は不明。

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