2012-04-26

水泳技術の歴史を調べる(板子乗り編)

Hollow Wooden Surfboard 木のサーフボードを作る
水泳技術の歴史を調べる から続く

日本では古くから波乗りをしていた。水泳技術の視点から見ると、波乗りとは今日でいうボディサーフィンで、水泳の応用技術として体系化され、板子(ボード)は補助手段であった。

大正13年(1924)に出版された「日本體育叢書 第十二編 水泳」(佐藤三郎著、目黒書店)には、板子乗りについて詳しく記述されている。
「(前略)濤乗りの練習には先づ板子を以て練習するがよい。
(中略)練習の初めには足先の着き得る浅瀬で試みるがよい。濤頂を待って濤が小さいときは濤頂が三尺位大きい時は一間程も後に來た時、底を蹴って跳び出し(第百三十三圖)體をなるべく平たく、短距離のクロールの姿勢になり、板子を持つたときは片手で支へて足はバタ足を細かく使ひ片手で片抜手を速く細かく使つて乗る。一旦乗つたら手は兩手とも板子にかけ、足はバタ足を使つて少しづつ濤から残されるのを防ぎながらいけば岸邊まで乗つて行ける。(第百三十四圖)(後略)」


なお、板子の使用法については次のように述べられている。
「板子を使用する場合は主として次の三の場合である。
1、溺るるものを救ふとき又は遠泳などで非常に疲れた者を救ふときに持つて行くとき。
2、難船等の場合一身を救ふため。
3、始めて泳を學ぶとき。
(中略)縦に板を用ふる法
百廿六圖のやうに板を縦に用ひて泳ぐのであるが。板は腰骨に當て體は板に乗りかゝるやうにし先手の肱から曲げて腕を斜に板の上に置き指は他方の縁を握り、足を扇り受け手を片抜手一段の要領で掻いて進む。此時板の先端は水面から四五寸出して水面を辷るやうな気持で泳ぐがよい。(後略)」


板子は浮力体として、今日のパドルボードやライフセービングのレスキューボードの役割を果たすことが認められていた。

以上、日本の中空木製サーフボード製作の先駆者、nobbywood surfboards 代表の大川信仁氏が板子乗りの情報を求めているのを知り、大川氏に敬意を表すべく、自分が知っていることをこのブログに書いた。

水泳やボディサーフィンは時代や国を超越した文化と言える。大正時代の日本で技術が体系化されて記録に残され、たとえ一時的に忘れられても容易に再現できるのは誇るべきことだ。先人が築いた文化をこれからも大切にしたい。津崎亥九生、佐藤三郎両氏は、自分の著作が100年後にインターネットで紹介されるとは思いもよらなかっただろう。それができて光栄だ。

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水泳史上、練習の補助具(今日の「ビート板」)として、日本の板子と西洋のボードが共存した時代があった。

 

昭和初期、齋藤巍洋(1902-1944)が2冊の本を著した(ともに三省堂)。写真左が「新日本水泳術 昭和9年(1934)より、アメリカ代表選手、ヘレン・マディソン Helene Madison(1913-1970)。右が「日本水泳読本」(昭和12年(1937))より、日本代表選手、根上博(1912-1980)。
マディソン選手は昭和7年(1932)のロサンゼルス五輪で3個の金メダルを獲得。根上選手は昭和11年(1936)のベルリン五輪で5位。
齋藤巍洋は大正13年(1924)のパリ五輪100m背泳ぎで6位。大正14年(1925)の第1回日本選手権水泳競技大会100m自由形で優勝。昭和10年(1935)にブラジルに派遣されて指導に当たり、翌年のベルリン五輪に役員として参加した際のエピソードや写真は「日本水泳読本」に紹介されている。

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改めて板子乗りについて調べた。

板子乗りが水泳技術の体系とは別のものとして行われていた例もある。文政4年(1821)、現在の山形県鶴岡市湯野浜で、付近に住む子どもが瀬のし(板子乗り)をしていたと記録されている。

板子乗りが一般に親しまれるようになったのは、開国して日本に海水浴の習慣が持ち込まれたのち、明治中期頃からで、海水茶屋の板子の貸し出しが普及に寄与したようである。板子の中には、海水茶屋の馴染み客がスポンサーとして宣伝のために寄贈した商標入りのものもあった。

日本でサーフィンが始まった1960年代以前、少なくとも山形県(鶴岡市)、新潟県、千葉県(いすみ市、勝浦市)、東京都(八丈島、新島)、神奈川県(三浦市、鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、大磯町)、静岡県(熱海市、下田市)、愛知県(田原市)、鳥取県、徳島県で板子乗りが行われていた。

増補 鎌倉の海」編集委員会の「増補 鎌倉の海」(鎌倉市海水浴場運営委員会、平成6年)に収録されている『座談会「愛されて100年 鎌倉海水浴場」』から、明治末〜大正初期には、由比ガ浜などでボディサーフィンや板子乗りが行われていたことが分かる。また俳人、高木晴子の「鎌倉育ち」によると、昭和初期の由比ガ浜で、女性や子どもが足が立つところで波を待ち、板子を補助に波乗りをしたという。

内藤千代子(1893-1925)「生ひ立ちの記」(牧民社、大正3年(1914))の「觀喜に輝ける夏」(P.52)から、当時女性が板子乗りをしたことが分かる。

幼女の友」第16巻第8号(幼女の友社、昭和7年(1932))に当時の海水浴の様子が紹介されており、板子が子どもが海水浴で遊ぶための浮き具として登場している。

日本のサーフィンの父、坂田道(おさむ)氏(1937-2012)の話から、昭和30年代後半、湘南に板子乗りがいたことが分かる。

板子乗りは、サーフィンの普及とともに次第に姿を消していった。高度経済成長期、主要な燃料が石炭から石油へと転換し、鉄鋼業や機械工業が製造業の中核となり、日本が本格的に工業国となった頃である。それまであったものが廃れ、新しいものに置き換えられた時代だった。

板子の寸法は幅30cm(1尺)、長さ45〜90cm前後(1尺5寸〜3尺)、厚さ2〜3cm(7部〜1寸)という。ノーズに板子を握るための横長の穴が開けられたものがあった。
大磯町郷土資料館板子が収蔵されている。旧新橋停車場鉄道歴史展示室で昨年8月2日から11月26日まで行われた企画展「日本の観光黎明期 山へ!海へ!鉄道で」でも同館の板子が展示された。神奈川県立湘南海岸公園サーフビレッジには複製品が展示されている。

2012-04-22

水泳技術の歴史を調べる


水泳には30年間、競技者として関わった。泳ぎ始めた小学生の頃から用語に横文字が多いのが気になったが、しまいに引退する頃には練習メニューが英語で書かれる時代になっていた。アメリカやオーストラリアといった英語圏の水泳大国から学ぶことが多いのは分かるが、義務教育で英語を習っても話せる人がほとんどいない国で英語でメニューを書く意味が理解できない(欧米か?!) 。
日本の競泳は現在でも国際的な競技力を保っているが、戦前まで遡れば世界を席巻した時代があった。その頃ならメニューも堂々と日本語で書けていたろうに。

人類にとって、泳ぐのは特別なことではない。それ故に技術は地域により様々で、スポーツとして体系化されていないこともある。例えば1875年、横泳ぎが最も速い泳ぎ方だったイギリスの競泳に「トラジオン泳法(Trudgen Stroke)」という、横泳ぎのあおり足(Scissor Kick)にクロールの両腕を組み合わせた技術が導入された。競泳史上最大の技術革新と言われるが、基になったのはイギリスの船員、ジョン・トラジオン John Arthur  Trudgen(1852-1902)が南米の先住民から学んだ泳ぎ方だった。これにより、それまで平泳ぎで行われていた水球のプレーも様変わりしたという。トラジオン泳法が発展した結果、今から100年ほど前の20世紀初頭、今日最も速い泳法であるクロールが完成した。
しかしこのクロールも、日本の古流の泳法では「小抜手」または「バタ足小抜手」と呼ばれ、技術的には西洋のクロールが確立する以前から存在していた(ただしそれほど速く泳げる技術とは考えられていなかった)。

泳ぐ技術が変われば、泳ぎを教える方法も変わる。今の日本では、最初にクロール、最後にバタフライを教える。しかしクロールが完成したのはほんの100年前、バタフライが種目として確立したのはわずか50年ほど前のことだ。それ以前は、どちらも教えられる由もない。
ちなみに大正初期の日本では、最初に平泳ぎから教えるのが主流となっていた。アイスランド、スウェーデン、ドイツ、スイスといったヨーロッパの緯度が高い地域では、今でも最初に平泳ぎを教える。平泳ぎは腕を水面から上げることがなく、頭を水面から上に保つことができる。冷たい水に落ちた時、頭が水没したら命取りだ。平泳ぎは余暇活動としての水泳の域に留まらない、生存に必要な技術でもある。

話が長くなった。水泳技術の歴史を調べることはライフワークになっている。

【欲求】★★★レベル3
とはいえ、趣味で知識を集めるのは物欲に近いような気がしてならない。

水泳そのものについてはここまで。続く 水泳技術の歴史を調べる(板子乗り編) で、日本の伝統的なボードサーフィンに触れる。

では、前振りを。
江戸時代に発達した水術(日本の古流泳法)には、泳ぐための基礎的な技術だけでなく、救助法や波乗りといった応用技術も含まれていた。日本赤十字社の水上安全法はその伝統を受け継いでいる。
波乗りは残念ながら途絶えてしまったが、記録からその様子を知ることができる。その完成形はボディサーフィンで、板子は初心者向けの補助手段と考えられていた。

今から98年前、大正3年(1914)に出版された「游泳法と其實際」(津崎亥九生著、敬文館)には、競泳、遠泳、飛び込み等と並んで「濤潜、濤乗(波潜り、波乗り)」が挙げられ、当時日本で行われていたボディサーフィンの技術について記されている。


波潜りについてはこうある。
「(前略)濤頂の将さに崩れんとするときに、頭部を下げ兩輪伸を用いて濤を貫くのである。(以下略)」
今でいうドルフィンスルー。兩輪伸とは、腕は今で言う平泳ぎ、脚は扇足(あおりあし)の動作を組み合わせた古流の泳法である。 


また波乗りについてはこうある。
「濤乗には、浅瀬にてするものと、底深き所よりするのとの二種類がある。
浅瀬にて乗るには、濤頂が凡一間位の後方に來たときに足尖にて水底を蹴つて足尖と濤頂に入れ兩臂を前方に伸ばして躄脚を急速に行ひ、十分に濤に乗り切れたる時に蹙足を止めて之を伸ばし、濤頂と共に進退するのである。(第八十三圖)然れども未熟の間は濤に捨てられて取り残さるゝ事があるから、其時には一方の臂を前方に伸ばし、他の臂にて小さき抜手を用ひて其前進を助くるがよい。
(中略)
深き所にて游ぎ居るときに乗らんとするときには濤頂が體の後方三尺位の所に來りて體の後半部上揚するとき、體の前半部を少しく下げて両臂を伸し、兩脚を伸すや直ちに小さき蹙足を用ゐ、全く乗り終りたるときに蹙足を止めて脚を伸ばす。」
蹙足はバタ足。片腕を前方に伸ばし、反対の腕でクロール(抜手)をする動作や波に乗った姿勢は、現在のボディサーフィンと同じ技術である。図に描かれた、腕と脚を伸ばした抵抗が少ない姿勢で波頂とともに前進する泳者は、安定すると同時に躍動感があり、当時の技術の高さを示している。
中略した部分には板子を補助に用いる方法が記されているが、それについてはもう1冊の本から詳しく紹介しよう。


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波乗像@湯野浜

向井宗之の「水泳術教範」(帝国尚武会、明治45年)に、当時江ノ島付近で行われていたボディサーフィンの様子が記されている。テイクオフの補助に板子を使うため、板子乗りとも言える。水泳技術との関連は不明。

向井宗之「水泳術教範」(帝国尚武会、明治45年)P.100

増補 鎌倉の海」編集委員会の「増補 鎌倉の海」(鎌倉市海水浴場運営委員会、平成6年)に収録されている『座談会「愛されて100年 鎌倉海水浴場」』から、明治末〜大正初期には、由比ガ浜などでボディサーフィンが行われていたことが分かる。純然たる鎌倉生まれの者は、波乗りに板は使わなかったという。こちらも水泳技術との関連は不明。

Hollow Wooden Surfboard 木のサーフボードを作る

現代のサーフボードは主に発泡体でできているが、昔は木で作られていた。ハワイの歴史を紹介するテレビ番組の中でそれを知った。しかも板の中身は空という。興味が湧いた。

インターネットで検索すると、中空木製サーフボード(Hollow Wooden Surfboard)の関連サイトやブログが見つかる。いずれも完成品やキット、図面を販売したり、作り方を紹介している。YouTubeでも作り方を紹介する動画が多数公開されている。自分にもできそうな気分になった。面白そうだ。
Paul Jensen Surfboard
Wood Surfboard Supply
Hack's hollow wooden surfboards (Bahrman Rails)
Grain Surfboards
Chesapeake Light Craft

【欲求】★★レベル2
単に欲しい、には留まらない。作りたい。かといって見事なボードを作れるようになりたいという強い野心はない。むしろ世界のいろいろな人とつながりを持ちたい気持ちが大きいだろう。実現するかは分からないが、いつか作ってみたい。

そう思ったのは数年前のことで、いつか誰にも言わずに始めようかと思っていたら、日本に先達を見つけた。千葉市の nobbywood surfboards では、2007年から木製サーフボードを製作していた。

美しい木目のボード。フィンボックスがついている。

代表のnobbyこと大川信仁氏は、ホームページで日本の伝統的なボディボード「板子乗り」の情報を求めていた。そこで、日本の先駆者に敬意を表して板子乗りについて書こう。

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サーフィン雑誌「Blue.」No.35、2012年6月号の「誇り高き日本のクラフトマンたち」に、nobbywood surfboardsの大川信仁氏が紹介されている。
その製作技術や細やかな配慮に驚いた。作業台や工具を自作。材料の桐は新潟県津南町産、ボードに使う材料は1本の木から取り、組み合わせる時には木が育ってきた方向(根から空へ)を揃える。重量配分はフィンをつけた状態で理想的になるようにする。表面はグラスファイバーでなくニスを塗り重ねる(13回以上!)。記事の最後に「モダンウッドボード」という言葉が出てきたが、それがふさわしく思えた。


2年ほど前、Wood Surfboard Supply から「Building a Hollow Wooden Surfboard v8.3」という中空木製サーフボードを自作するための手引きを買ったが、内容は初心者向きで、主にベニヤ板と接着剤で中空木製サーフボードを作るというものだった。大川氏のボードは、さすがにこれとはレベルが違う。脱帽。
特筆すべきなのは、サーフボードの材料が木で、表面はグラスファイバーの積層ではなくニスを使って仕上げること。サーフィンなどのウォータースボーツは、自然に親しんでいるようで、実は道具はガラス繊維や炭素繊維で強化されたプラスチックなど自然界には存在しない材料を多用しており、一般的なフォームを使ったサーフボードの製作過程には、防塵マスクをつけた作業工程が必ずある。人体に有害だからだ。これにはどうにも違和感がある。しかし木のボードなら、最後は土に還ることもできる。ウォータースポーツが、持続可能になるのだ。
改めて Wood Surfboard Supply の手引き書について調べると、ここ数年でかなり充実しているようだ。この分野に興味を持つ人が増えて全体のレベルが上がったのだろうか。
楽しいことはみんなやりたいのだ。いつかこっそり始めようなんて無理な話だったが、自分と同じように木製サーフボードに関心のある人が多いと分かり、嬉しく思う。

アルファベットの名前を漢字に翻訳した本を書く

アルファベットの名前を漢字で書いてほしいとリクエストされることがよくある。多くの場合、音だけ漢字にする。今まで見たことがある例は、例えばマルティンは「丸点」、アンドレアは「安土麗亜」など。中国語で(鉄腕)アトムが「(铁臂)阿童木」になるのに似ている。皆誇らしげに見せてくれるが、漢字の意味が分かる側から見れば、ヤンキーの落書きみたいな名前をあてがわれてかわいそうな気持ちになる。

アルファベットで書かれた西洋の名前は、漢字の名前と違って、あるのは音だけで意味はないように思われていることが多い。時には、特に若い人は、本人ですらそうだ。しかし実は、西洋の名前にも、宗教や伝承などにちなんだ意味がある。意味が分かれば名前は翻訳できる。それを意味する、名前に使われそうな漢字を当てるのだ。それなら、漢字の意味が分からない相手に、あり得ない名前を授けずに済む。

アルファベットの名前を漢字に翻訳してまとめた本があれば、誰にでもこれができる。最近はインターネットでもある程度調べられるようになったが、母語がアルファベット表記の人たちが、たくさんの名前が翻訳されてきれいな漢字で書かれ、一冊の本のまとめられたものをめくりながら、家族や大切な人の名前を探すのは、きっと楽しいに違いない。それが異文化理解にもつながる。本を書くことで手伝いができたら嬉しい。

【欲求】★★★レベル3
珍しく、人のために何かしたいと素直に思う。それには、人とのつながりを求める気持ちも多分に含まれているだろう。

ヨーロッパにいた頃、世話になった友達やその親戚の名前を漢字に翻訳してプレゼントして喜ばれた。白いカードにボールペンで、できるだけ丁寧に書いたが、お世辞にもうまいとは言えない字を居間に大切に飾っている人もいるという。有り難いことだ。その後、訳が進まないまま10年が経過した。作りかけのデータベースもそのままだ。
気に入っている訳がある。ハンスは「寛善」、音も似ていると彼の息子が喜んでいた。その息子のフーコーは「解覚」、禅の雰囲気もある。どちらもスイスで大変世話になった人たちだ。人柄に合わせて訳した漢字の名前を見ると思い出が蘇る。彼らに感謝したい。Ich moechte noch Mal schreiben, vielen Dank. Wieder luaekae!
もうひとつ。ヘレンやヘレナは太陽を意味するので「陽子」さん。ヘレナは、真冬のストックホルムのユースホステルで、深夜に同じ机で勉強していた。彼女はフィンランド出身でヘルシンキで会社を経営していたが、仕事の傍らストックホルム大学院で勉強しており、定期的にストックホルムに来ていた。世界には息を吸いながら音を発する言語もあることを彼女から学んだ。

2012-04-10

SONIM XP5300 FORCE 3G 世界最強の携帯

この携帯は、25mの高さからコンクリートの地面に落下させた後でも使える。建設業や林業の現場など、高所での利用も考慮して作られ、世界最強の携帯としてギネスブックに認定されている。
XP5300 FORCE 3Gは、仕様を見る限り日本でもDocomo、ソフトバンク、b-mobileのSIMで使えるようだが、定かではない。
(※Sonim製品と各社SIMの購入および使用は本人の責任で行ってください。)

Sonim Technologies社はアメリカ、カリフォルニア州サンマテオの会社。キャッチコピーは「Build for Life」、厳しい環境で働く人のために世界最強の電話を作る会社と自認している。

【欲求】★レベル1
物欲。しかし日常には余る頑丈さ。残念ながら今のところ日本語版はないようだが、必要な方にぜひ使ってほしい。

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見つけて以来、時々 amazon.de から売り込みが来る。本日現在の価格は€369.89。送料と関税込みで45,000円ほどで入手できるのではないかと予想される。

2012-04-08

SIMフリー iPhone 3GS + イオンSIM

以前はソフトバンクのiPhone 3GSを使っていた。しかしソフトバンクの携帯は、東日本大震災の直後、被災地付近では機能しなかった。そのためDocomoに替えた。
Docomoのスマートフォンには満足している。通話エリアが広く、電波も安定している。ただし料金が月額7,000円を超えるのは痛い。
SIMフリーのiPhone 3GSb-mobileのイオンSIMを組み合わせると、データ通信のみで月額980円〜、音声通話つきで月額2,270円〜の料金で済む。通信速度を抑えることで料金も抑えているが、使い方によっては問題ないだろう。災害時にはメールやツイッターといった文字情報が主力になることを考えると、普段通話をほとんどしない人なら、データ通信のみのSIMでもいいかもしれない。端末はデザインにこだわらなければiPhone 3GSで十分。
そしてb-mobileは、実際にはDocomoのネットワークを使っている。これは大事なことだ。

【欲求】★レベル1
物欲。それには携帯やデータ端末で人とつながりたい願いも含まれているのかもしれない。

12-04-08 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
イオンSIMを購入。イオンの店頭で、契約時の手数料3,150円を支払って申し込むと15分ほどで手続きが完了し、SIMを手に入れた。選んだプランはデータ通信のみで月額980円。毎月の料金はクレジットカード払い。同じデータ通信ならばプランの変更ができ、ネットで手続き可能。音声通話つきの場合はSIMが別物のため、プランの変更ができず、新規の契約になるということだ。

12-04-09 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
一昨日(土曜日)、EXPANSYSにSIMフリーのiPhone 3Gを注文したが、2日経った月曜の夕方、まだ手続きが完了していないとメールが届いた。英語で書いた送り先の住所を知らせてほしいという。PayPalで決済した時、確かに日本語表記の住所を選択した。EXPANSYSのホームページがすべて日本語に対応していたためそうしたので、送り先の住所が英語というのは違和感があったが、調べると同社の日本部門は香港にあった。英語表記の住所を知らせると、追って出荷を知らせるメールが届いた。出荷元は香港だった。
注文時に在庫数が1個で、注文してからはずっと在庫なしになっているが、送り先の住所が英語で表記されていなかったという問題はあっても、受注した順番を守ってくれたようだ。謝謝。

12-04-14 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
SIMフリーのiPhone 3GSがFedExで香港から到着した。梱包にダメージなし。開封し、バッテリーが空のため、まずはUSB端子から充電。付属のACアダブターはAC220Vのイギリス規格で、ごつい四角いピンが3本飛び出しており、香港でも使われている。充電後、イオンSIMを差し込み、b-mobileの設定方法に従ってネットに接続完了。結果は、月額980円のプランでもGmailの送受信が問題なくできた。通信速度は気のせいか遅く感じるが、Docomoのスマートフォンでも瞬時に送受信できるわけではないし、そもそもメールを書くのに時間がかかっていることを考えれば大した問題ではない。使ってみての印象は、考え方次第では月額980円で十分だ。

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月額980円のイオンSIMとiPhone 3GSの組み合わせは、Gmailの送受信は全く問題なく、通信速度が遅くてストレスを感じることもない。
DocomoのスマートフォンのSIMは以前使っていた普通の携帯に戻し、同時にDocomoの契約内容を変更した。Docomoのメールは使わないことにしてSPモードメールもパケ・ホーダイもやめ、料金プランは元々通話がほとんどないのでタイプSSバリューにした。その他割引を組み合わせると、利用料は月額875円になった。
イオンSIMのiPhone 3GSとDocomoの携帯、利用料は月額980+875=1,855円。Docomoのスマートフォンは月額7,000円を超えるので、それより月額5,000円以上安く、年間60,000円以上節約できる。この結果には満足している。

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iPhone 3GSの到着から10日余り、FedExから関税の請求書が届いた。1,500円。

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b-mobileのiPhoneとDocomoの携帯、2台持ち歩くのは煩わしい反面、便利なこともある。携帯で話をしながらiPhoneで検索したり、メモを取ったりできるのだ。
バイクで高速道路を走行中、後タイヤがパンクした(前なら死んでいた)。自宅から300km離れた地点だった。路肩にバイクを停め、携帯で馴染みのバイク屋に相談した。状況を伝えると、その日のうちに現地で修理して乗って帰るのは無理と判明した。そして保険会社のロードサービスを呼び、高速を降りて、バイクを馴染みのバイク屋から紹介された現地のバイク屋まで運んだ。その日はバイクを置いて新幹線で自宅に帰ったが、現地のバイク屋が車で最寄りの駅まで送ってくれた。親切で助かった。
携帯でバイク屋や保険会社の担当者と話をしながら、iPhoneで検索したり、メモを取ったりできたのは、非常に便利だった。

この一件で、モバイル通信機器が本来の力を発揮するのは非日常の状況なのだと思い知らされた。ちなみにパンクした地点は山の中だったが、Docomoはつながった。ソフトバンクなら怪しいもので、自分ではどうにもできなかったかもしれない。やはり通話エリアが広いことは重要だ。

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通信速度が1日の時間帯でかなり差があることに気づいた。日中は遅く、夜は速い。特に深夜は通信速度が速くなったと錯覚する。原因は、周辺の使用状況によるのだろうか、定かではない。
差があるとしても、そもそも使用料が安く、災害時にDocomo回線で文字情報の送受信をするのに支障がなければ個人的には問題なし。

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ドイツのミュンヘンとフランクフルト、チェコのプラハで、電話回線でデータ通信できなかった。ローミングできなかったのだろうか。自分が何か手続きを怠ったのかもしれない。(ちなみにDocomo携帯はローミングで回線がつながっていた。プラハでは3Gの表示も見えた。)ただしローミングできたとしても後で多額の料金を請求される可能性があったので、できなくてよかった。
現地ではWi-Fiを使った。空港、ホテル、会議場のWi-Fiは通信速度が速くて快適だった。まったく問題なし。
ちなみにDocomoのスマートフォンには海外パケ・ホーダイ、ソフトバンクには海外パケットし放題がある。だがソフトバンクは、東日本大震災の直後にほとんど機能しなかったことの埋め合わせには、残念ながらならない。
b-mobileの選択は揺るがない。iPhoneがDocomo回線で安い料金で使えるのだ。多少不便でも使い方は自分で工夫すればいい。何の文句もない。

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今さらながら、日本国内でも使える場所なら通信速度が速いWi-Fiに切り替えた方がいいと気づいた。Wi-Fiがない場所ではb-mobile(=Docomo)回線を使う。そして使用料が月額980円と低額で済む。これが「SIMフリー iPhone 3GS + b-mobile イオンSIM」の利点を生かす使い方のようだ。

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韓国の仁川空港、ロシアのウラジオストクでも、やはりb-mobileはローミングできなかった。しかしWi-Fi環境が充実しており、メールの送受信に困ることはなかった。特にウラジオストクではホテルやレストランで無料Wi-Fiが使えた。この点では日本より上。

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カナダはトロントのピアソン国際空港と市内のホテル、アメリカはワシントンDCのダレス国際空港と市内のホテル、いずれもWi-Fi環境が充実しており、メールの送受信は問題なくできた。現地で地図を見たり、バスなど移動の手配もでき、非常に便利だった。

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月額980円の情報通信専用SIMが、楽天からも発売された。しかもLTE。

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楽天LTEのSIMが入ったモバイルWi-Fiルータを持つことになった。
楽天SIMは、通信量の条件つきとはいえ、イオンSIMよりも圧倒的に速く、月額使用料は同じ980円。
日常生活の中で、通話はしないSIMフリーiPhone 3GSは、通信速度が速いSIMが入ったモバイルWi-Fiルータが中心、イオンSIMはバックアップとしてうまく使えるのだろうか。
ただし、もし災害時に文字情報で通信することを考えたら、同じDocomo回線を使うイオンSIMと楽天SIMは、どちらか1枚あればいいように思える。どちらにするかは、ユーザーの使い方次第だろう。

13-02-11 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
iPhone 3GSを落とした。中国、甘粛省蘭州市の路上で写真を撮り終え、ポケットに入れようとした時、手が滑った。歩道には石が敷かれていた。ガシャンと音がした。拾い上げると、タッチスクリーンにひびが入っていた。愛用していたマグプル製のケースに入っていたが、さすがに衝撃に耐えきれなかったようだ。修理して使うか、迷っている。


2012-04-03

カホンペダル Schlagwerk CAP100

カホンは左右両手で叩いて演奏する楽器である。両脚は、特殊な奏法を除いて、カホンの上に座った上体を支える役割を果たしている。
一方、ドラムセットに向かうと、右足にバスドラムのペダルがある。脚は普段から体重を支えているだけのことはあって強く、ペダルを踏むと力強い低音が出て気持ちがいい。
カホンでペダルが使えたら?左右の手以外に、足でも音が出せる。そして気持ちいいに違いない。これは試してみたい。

【欲求】★レベル1
物欲である。買うだけで何かが変わるわけではなく、それを使ってどんな経験するかは自分次第だが、好奇心をわくわくさせるものがあった。このペダルがあれば、今まではフラメンコの伴奏中心だったのが、演奏する分野がロックにも広げやすい。いろいろな音楽仲間と演奏したい気持ちもあるし、うまく演奏できるようになりたい自分もいる。

12-04-02 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
インターネットで注文した。何件か店を見つけた中で、ドイツのトーマン・サイバーストア thomann cyberstore を選んだ。ホームページが親切にできていた(元になっているホームページの制作会社は旧東ドイツのエアランゲンにあり、ドイツ初のインターネット市場らしい)。ドイツはSchlagwerkの母国で、トーマン楽器店は何度となく訪れて住んだこともあるバイエルン州にあり、社長のハンス直通のメールアドレスも公開していた。値段は€158.82、送料込みで€208.82。日本への送料はDHLで一律€50と明示されていて安心だった。
日曜の深夜に顧客登録をすると折り返し確認のメール(1)で返信があった。注文すると受注連絡のメール(2)が届いた。数時間後、顧客センターにアクセスできるようになったとのメール(3)が届いた。さらにその数時間後、中間報告のメール(4)が届き、注文から約24時間後の翌日深夜には発送を知らせるメール(5)が届いた。梱包の重量9kg、問い合わせの担当者名も書かれていた。海外通販で、顧客登録から発送まで24時間の間にメールが5通も届いたのは初めてで嬉しくなった。ここに注文してよかったと思った。通関を過ぎて手元に届くまで7〜10日ほどかかるだろう。到着が楽しみだ。

(同じドイツで、ここより€10ほど安い店があったが、注文の前に顧客登録をすると自動返信がなく、送料は別途請求でいくらか分からず、クレジットカード(AMEX)で決済しようとしたらカード会社から不正使用を注意するメールが届いて決済できず、PayPalでも決済できると書かれてあるのにできなかった。怪しいと感じて登録したクレジットカードの情報を削除した。)

12-04-09 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
品物が到着。日本郵便から配達された。発送元は Deutsche Post 。間にDHLが入ったかは分からないが、それはさておき、梱包の段ボール箱はダメージがなく、ドイツから送られてきたとは思えないほどきれいな状態だった。
AMEXからの請求金額は23,475円だった。日本国内では現時点で39,800〜42,000円で販売されているが、その4割引。40,000円ではとても手が出なかった。

12-04-23 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ようやく梱包を開けた。本来なら荷物が到着したらすぐに開けて中身に問題がないか確認しなければならないのだが、年度末と年度始めで忙しく、カホンを叩く余裕がなかったため、しばらくそのままにしていた。それでも不安がなかったのは、段ボール箱にダメージがなかったのと、ハンス・トーマンを信用できたから。
段ボール箱を開けると、また箱が入っていた。


こんなことなら早く開けていればよかった。
それにしてもトーマンの梱包は丁寧だった。


ペダルは近日中に組立予定。

2012-04-02

父とイチローを見にシアトルに行く 改め トロントに行く

【12-07-24 イチローがニューヨークヤンキースにトレードされたためタイトルを変更しました。】

72歳になる父は野球が好きである。MLBの試合は、野茂がアメリカに渡り、NHKのBSが日本人選手が出場する試合を中継し始めた頃から見るようになった。ここ数年のお気に入りは、やはりイチローである。

父にはいろいろと迷惑をかけた。大学に進学するため実家を離れた時には4年間仕送りをしてくれた。就職してからも何度となく転職した時も、仕事を辞めてヨーロッパに2年いた頃も、無一文になって実家に帰ってきた時も、その後仕事が見つからなかった頃も、息子が心配だったろうと思う。応援してくれていたはずだったのに、「お前何しに外国に行ってきたんだ?」と後から言われた時には落胆したが、それも息子を思えばのことだろう。それでもいつの頃からか、信頼してくれるようになった。なぜかは分からない。そしてそれに応えねばと感じたりもする。

父には、覚えている限りではお返しをしたことがない。その昔、珍しく水泳の大会を見に来てくれた時には、表彰台の上でお行儀の悪いことをする息子に恥ずかしい思いをしただろう。あの時普通に振る舞っていたら、父のいい思い出になり、親孝行できていたかもしれない。

思い立って父に聞いてみた。イチローが現役で活躍しているうちに、シアトルにマリナーズの試合を見に行かないか?と。まんざらでもない表情だった。そしてついでに観光でもするかと聞くと、別にいいと言うあたりが父らしかった。
それから4年経つが、計画はまだ実現していない。今シーズン(2012年)のマリナーズの最終戦は10月3日、ホームでのエンジェルス戦である。それまでの間に、行けるのだろうか。

【欲求】★★レベル2
柄にもなく、父の息子であり、家族の一員でありたいと願う自分がいる。そして父に認めてもらいたい気持ちもあるのかもしれない。

12-06-22 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
父に電話してパスポートを取るよう伝えた。そして9月20日発、シアトル行きの航空券を予約した。9月21日、22日、23日はマリナーズ対レンジャーズ3連戦。
仕事は休めそうだ。今年は前半が本当にきつい。9月末も暇ではない。職場には悪いが遅めの夏休みを取らせてもらおう。

12-07-09 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
父にどの席に座りたいか尋ねると、1塁側の内野と外野の境目あたり、1塁ベースがよく見える席がいいという。1塁側がないなら3塁側の同じ位置。父の希望を確かめてからマリナーズのホームページを見た。すると前方の列のいい席は既に売れていた。慌ててできるだけいい席を確保した。3試合、各2席、合計6席。料金は約500ドル。自分としては、野球観戦に費やす金額としては十分大きい。もっと早く気づいていれば、父がもっといい席で試合を見られたかもしれないと思うと心残りだが、あまり高い席では父も気を使うだろうから、これくらいでよしとする。

12-07-24 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
朝、電話で目が覚めた。父からだった。イチローがシアトルマリナーズからニューヨークヤンキースへトレードされたという。驚いたが、シアトル行きはキャンセルしてやり直そうと、迷わず父に伝えた。
夕方、仕事が終わると、ヤンキースの試合予定を調べ、どの試合が見たいか父に尋ねた。9月14日、15日、16日にホームで松井秀喜が所属するタンパベイレイズとの試合があるが、松井はシーズン終盤までチームにいるか定かでないという。他にはアスレチックス、ツインズ戦など。父が選んだのは、9月27日から30日まで、アウェイのトロントブルージェイズ4連戦だった。ニューヨークは行ったことがあるからトロントがいい、と父。自分的にはニューヨークに行く機会を逃したが、今回の旅行は父のためにある。父の希望を優先しよう。
シアトル行きの航空券をキャンセルした。キャンセル料は2人分で60,000円。ホテルは幸いキャンセル料は取られなかった。9月21、22、23日のマリナーズ対レンジャーズ戦のチケットはキャンセルできず、約40,000円を捨てることになる。行く人がいれば譲りたいが、仕方がない。アメリカ入国のためのESTA登録も既にしていたが、トロントへの往復の途中でアメリカのどこかで足止めを食らった時に役に立つかもしれない。

12-09-12 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
トロント行きの航空券を手配した。仕事が忙しい時期が続いたが、合間に何とかできた。帰りはワシントンDCにストップオーバーする。はからずもESTA登録が役立つことになった。ホテルも球場のチケットも予約した。ついでにワシントンDCではセグウェイのツアーも予約したが、父にはまだ内緒である。
父に、ナイアガラの滝に行ったことがあるか聞くと、ないという。家族で誰か行ったような気がしたが、妹だった。カッパと濡れてもいい靴を用意するよう父に伝えた。

12-10-06 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
父とともに、トロントで9月27・28・29・30日の4連戦を観戦した。イチローが所属するヤンキースは2勝2敗。ヤンキースのジーター、イチロー、Aロッドと続く打順は見てみてわくわくした。しかし打線がつながらない展開が多かった。6番打者、グレンダーソンは打率は低いが今シーズンのホームラン本数はチームで1番の打者で、この4連戦でも期待していたが、ランナーが出塁する中で一発が出なかった。
イチローは4試合にフル出場。ライトでグラブの先端からボールがはみだしながらも捕球したファインプレーが、3塁側の内野席からばっちり見えた。父は満足してくれたようである。
その後ヤンキースは、ボストンでの3連戦の最終戦で地区優勝を決めた。トロントではお預けとなったグレンダーソンのホームランも出た。

父にはこれが最後の海外旅行となるかもしれない。
トロントには4泊5日だったが、父が海外で最も長く滞在した町となった。清潔で、整然とした街並みでは迷うこともなく、過ごしやすいところだった。グレイハウンドのバスに乗り、ナイアガラの滝にも行った。ワシントンDCではセグウェイツアーに参加し、ホワイトハウスやスミソニアン国立航空博物館も訪れた。


言葉が通じない、行ったことのない土地で、現地に到着してから情報を仕入れ、野球を見に行ったり、公共交通機関を使って移動したり、レストランで食事したり、父1人ではできないことばかりだったろう。それに同行し、トラブルもなく無事に帰って来たのだから、自分としてはよく働いたと思う。
旅費はすべて息子持ちである。シアトルのキャンセル料も含めてそれなりにかかった。しかし全部でいくらかは、怖いので足し算しないことに決めた。その代わり、帰国してすぐに銀行の預金の残高を確認した。幸い、冬のボーナスまでの間、自らの欲求と仲良くしながら過ごせる程度の額は残っているようである。