2013-03-18

平和

私は平和を欲する。戦争などしたくない。
ユネスコ憲章にこうある。
戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。/相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

平和は戦争の対義語だが、戦争でなければ平和とは限らない。IEP (Institute for Economics and Peace)という機関がある(シドニー、ニューヨーク、ワシントンDC)。平和を経済的な側面から研究しており、世界平和指標 (Global Peace Index) を発表していることで知られる。

IEPによると、平和には8つの柱があるという。
・十分に機能する政府
・安定したビジネス環境
・公平な資源の分配
・他者の権利の受容
・隣人との良好な関係
・情報の自由
・高い水準の教育
・低い水準の汚職

Structures of Peace by IEP (Institute for Economy and Peace)

平等、公平、他者を尊重すること、教育、日本では当たり前のように思えるものが平和の礎なのだろう。平和は多くの先人が戦い、血を流して勝ち得たものの上に成り立っている。それを自らの力で守ることを、忘れてはならない。

【欲求】★★★レベル3
ところで、平和そのものを求める欲求を満たすのか、それとも他の欲求が満たされて平和になるのか。そして私は、自分が生存するだけでなく、他者の幸福まで考えて平和を欲しているのか。分からない。

2012-12-17

選挙で投票する(参政権の行使)

世の中を直接治めることはできないとしても、代表を選んで託す権利が、全ての成人にはある。それを参政権という。この日本でも、政治に参加する権利を勝ち得るために、多くの人が血を流し、命をかけて戦った。だからその権利を大切にする。選挙には行き、投票する。
家族や友人にも選挙に行って投票するよう勧めている。「面倒くさい」と言った知り合い(女性)に、ならば市民を辞めてしまえと思わず口走ったことがある。それ以来何年も折り合いが悪い。さすがにそこまで言うのは大人げなかった。しかし少し歴史を遡れば、女性には参政権がない時代があった。ようやく手にした権利を、投票に行くのが面倒だからと放棄するのは、何とも惜しく、先人たちに申し訳ない。

票を投じる欲求とは何だろう。
平和で生命や財産を脅かされることなく、豊かで飢えることのない世の中への欲求。人とつながって集団を成し、認められることへの欲求。成長し、自己実現できる社会への欲求。多くの人の幸福のために与えられた一票を投じる。そうありたいものだ。

省みると、自分はそうは考えていない。
自分と候補者の関係は一対一で、選挙権により選挙運動中の立候補者、または選挙後の当選者=代議員を支配し、自分の意思を社会に反映させたい。何を欲するかは、投票するときの自分次第。
大量消費社会に似ている。作り手は、消費者が黙っていても何が欲しいか調査して製品を生産する。消費者は製品を選択して買う。気づいた時には、消費者にとって、ものは自分以外の誰かが作るもので、自分が何が欲しいかすら考えなくなっている。消費者は製品を選択することで、作り手への支持を表明する。
政治家の製品は「政策」だろう。選挙権を持つ側は、何を選択するのか。物的・金銭的な欲求が満たされる政策。あるいは自分の意思が反映され、自尊心をくすぐられる政策。
もし政治家に、あなたは自分を犠牲にしても社会全体の幸福を考えられる素晴らしい市民です、と新たな政策を提案されたら、私は疑う。欲求のレベルもそこまで。

【欲求】★★レベル2
もし手にした権利に執着して行使するだけなら物欲と同等。
すべての人が自分らしくいられるために、投票する権利を、自分の持てる力を、使えるようになりたいものだ。

2012-12-14

外国語の勉強(主に独学)

経験から、外国語の独学に大事な要素が3つある。「聞くこと」、「量」、「勉強しやすい教材」。加えて「挫折を前向きに考えること」が、特に複数の外国語を勉強するのに欠かせない。

「聞くこと」。正しくは聞き流すこと。意識して聞き取るより、聞こえるに近い。聞く内容や早さは、自分のレベルと同じか、少し難しいくらいがいい。しかし、たとえ難しくて全く理解できなくも、そのうち分かるようになるだろう、くらいに考えて気楽に聞き流す。
「量」。最近はインターネットと小型の音楽プレーヤーが進歩したおかげで、本当に量が聞きやすい時代になった。いつでもどこでも聞ける。(つい30年前はラジオとカセットテープしかなかったのがにわかに信じがたい。)もし量を聞くことが難しくても、読む、書く、話す、何でもいいので、ある程度の量をこなせばいい。いずれ耳が飢えてくる。
「勉強しやすい教材」。本、CD、ラジオ、テレビ、DVD、インターネットのウェブサイト、PCソフト、何でもいい。大事なのは、本人が勉強しやすいと感じること。誰にでも合う教材はない。世間で評価が高くても、買ってみたら自分には合わなかったというのは珍しくない。その時には他のものを探せばいい。使わない教材は授業料を投資したと思って忘れるか、他に欲しい人に譲ることができたらラッキーだと思おう。自分に合った教材を探して勉強するうちに、苦しい時期はあっても次第に勉強のしかたを覚え、外国語を習得していく。
加えて「挫折を前向きに考えること」。外国語の勉強は、失敗が成功より多いと思う。教材を買い揃えたのに勉強をやめると、ただでさえ本人が凹んでいるのに、家族や友人にからかわれたりして痛い。でも、やめてもまた始めればいいのだ。気に入った教材があればいつでも再開できる。そう前向きに考えればいい。これは特に2つめ以降の外国語について言える。数カ国語で積み重ねた失敗が、別の言葉に結実することもあるから、挫折は決して無駄にはならない。

自分の場合、勉強そのものより、挫折してやめるのが趣味と言った方が正確かもしれない。
母語の日本語を除いて、勉強した言葉の数、11(☆英語・フランス語・韓国語・中国語・☆ドイツ語・スペイン語・イタリア語・スウェーデン語・アイスランド語・☆ポルトガル語・ロシア語)。ほとんどが独学。☆がついている3つ、英語、ドイツ語、ポルトガル語が、仕事※や日常生活で使えるようになった言葉。日本語を含めると、頭の中に4つの言葉がある(またはあった)。
そして最近、独学で中国語の勉強を再開した。記憶にある限り、2度の挫折ののち3度目の試み。5つめの言葉になりますように。

【欲求】★レベル1
外国語の勉強が知的な欲求であることに間違いはない。必要で勉強するとはいえ、多くの言葉を習得しようとするのは物欲に近い一種の収集欲のような気がしてならない。せめてレベル2に引き上げるのが今後の課題。

※会議の同時・逐次通訳、あるいは高等教育機関の教員ができるレベルではありません。

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英語 English
小学校6年の時、1つ上の姉が中学校に入学してNHKのラジオ講座「基礎英語」を聞き始めたのを真似して同時に始めた。これが独学の始まりだった。姉は途中でやめた(と記憶している)が、自分は1年続けた。当時はタイマーつきのレコーダーなどという便利なものはなく、目覚まし時計で起き、ラジカセの録音ボタンを押し、カセットテープに録音しながら再び寝て、学校から帰ってから夜に勉強した。おかげで中学校の英語の授業は遊びみたいなもので、学んだことは特になかったように思う。そのまま高校に進み、たかをくくって勉強しないでいるうちにたちまち人並みになり、大学の一般教養では単位を落として4年まで再履修した。それでも英語の授業は楽しかった。先生や教材ではなく、英語そのものが。
社会人になり、最初の1年間は大学入試の英語の勉強をしていた。27歳の時に外資系の会社に転職し、初めて海外に行く機会を得て、研修で英語を使う経験をした。そこで自分の英語が他の社員よりうまいことに気づいた。それまでの積み重ねがあったからだろう。
その会社を辞め、ヨーロッパに2000年から2002年にかけて滞在した時には、デンマーク、スウェーデン、アイスランド、ベルギー、オランダで英語を使った。英語は、滞在している国と自分をつなぐ言葉として重宝した。どの国にも英語を話す人がいた。また、その国の言葉と英語の辞書は必ず本屋で手に入った。日本語の辞書を探しても見つからないか、あるいは見つかっても日本語はアルファベットで書かれていて使いづらかった。その後、日本に帰国してからブラジル人のサッカーコーチの通訳をした時も、当初は英語だった。
英語は今でも、仕事のメールや電話での連絡に日常的に使っている。

ドイツ語 Deutsch
大学を卒業して最初に勤めた会社も、次の転職先の会社も、なぜかドイツ語圏(ドイツ、スイス)に縁のある会社だった。だからというわけではないが、ドイツ語の勉強を始めた。当初はHNKのラジオ講座で独学するつもりだったがうまく行かず、仕事を辞めてドイツ政府が自国の文化を普及させる目的で設置しているドイツ語学校、ゲーテ・インスティテュート Goethe Instiut のローテンブルグo.d.T.校※※で1ヶ月の集中コースに通った。クラスは一番下のG1a(Grundstufe 1a)。しかし当然ながら、1ヶ月のコースだけでは話したいことも話せない有様だった。その後1ヶ月、ドイツ国内で実習や旅行をしてからローテンブルグを再訪すると、多少よくなっていた。日本に帰り、青山のドイツ大使館の裏手にあるゲーテ・インスティテュートの東京校に半年通うと、教科書がThemen Neu 2になった。劣等生だったが何とか授業についていった。
それから1年ほど経った2000年の秋にスイスに渡り、オプヴァルデン州に滞在した際、近くの町、ルツェルンにあったミグロの学校のドイツ語集中コースに通った。教科書は引き続きThemen Neuで、とうとう3に入った。その後、EU各国内外を移動しながらヨーロッパに2002年まで滞在し、地域のスポーツ組織の活動について調査をしたが、ドイツ語圏にいた期間が長く、日常会話には不自由しなくなった。
帰国後は、身近にドイツ人がいないこともあり、使う機会は激減した。
今でも仕事で使うが、年に何回か、ドイツと手紙やメールのやりとりをする程度で、語学力はかなり衰えている。

※※いつの間にか廃校。

ポルトガル語 Portuguese
ヨーロッパから日本に戻ったのは2002年。当然ながら仕事がなかった。ある時、知人の紹介で、英語でブラジル人のサッカーコーチの通訳をすることになった。海外でスポーツに関する調査をしていたら、サッカーが専門でなくても、外国から来た指導者の概念は理解できるだろう、というのが紹介された理由だった。それは当たっていた。日本では不明確になりがちな、教育(教える)とトレーニング(鍛える)、練習(トレーニング)と試合(ゲーム)の区別は容易に理解できた。現場に同行し、通訳を務めた。
そのコーチの契約期間が終わって帰国すると、引き続き英語で、別のブラジル人コーチの通訳を頼まれた。しかし本人に会ってみると、英語が話せなかった。商売あがったり。首を覚悟した。かといって代わりのポルトガル語通訳も見つからなかった。仕方がないので、コーチは日本語、こちらはポルトガル語の勉強を始めた。独学で、本とCDを使って2ヶ月勉強した。それからコーチとともにブラジルに行き、1ヶ月滞在すると、会話でたとえ話程度までできるようになった。帰国してからはポルトガル語で通訳した。これで首にならないと安心した。
3ヶ月である程度話せるようになったのは、仕事がかかっていたことよりも、大学でフランス語を4年間勉強し(一般教養、得意だったが単位が取れず4年まで履修)、さらにスペイン語とイタリア語で挫折を繰り返した、ラテン系の言葉の勉強の積み重ねがポルトガル語に実を結んだからだ。
ちなみにポルトガル語は、聞くのと話すのはできたが、読み書きは苦手で、それまで他人事だと思っていた文盲の心の痛みが分かるようになった。
その後、サッカーコーチの通訳を辞め、他の仕事に就いた。私の住む地域にはブラジル人やポルトガル人はいないに等しいこともあり、ポルトガル語を使う機会は年に1回あればいい方で、語学力は落ちる一方だ。以前はかなり聞き取れていたNHKラジオ第2のポルトガル語ニュースも最近はかなり怪しい。日本国内にはブラジル人が集住している地域があり、そこに行けばきっと何かの役に立つとは思うのだが・・・・。
使わない言葉の能力を維持するのは、乗らない車を毎月車検に出すようなもので、手間がかかる。ドイツ車に加えてポルトガル車もあったらなおさら。そろそろどちらか廃車にしようか考えている。

中国語 汉语 については別のスレッドで。

2012-12-09

アトム 隼人

隼人は、広島県にあるアトム(株)社製の農作業用のゴム長靴である。
カントリーラバーブーツと銘打ったゴム長靴が定価1万円台半ばで販売されているが、日本で本格的な農作業に使う人はまずいないだろう。それに対して、こちらは雰囲気だけではないリアル田園長靴、実勢価格¥3,000〜。ワークマンでも販売している。

この長靴には、機能美が備わっている。細身で、薄いゴム地が使われ、しなやかで軽い。土につかまらず、動きやすい。
農作業に使えるだけに、日常生活でも履きやすい。雨の日でも、舗装されている道なら、裸足に近い感覚で走れさえする。
防寒用ではないが、もちろん水や風は通さないので、厚手の靴下を履いて動いていれば、本州の平地なら極端に寒い日でない限り大丈夫。ただし、さすがに凍結した路面では靴底が滑りやすいのでご注意を。


【欲求】★レベル1
物欲。実用品として愛用している。
この商品の魅力には、消費者だけでなく、製造しているメーカーや販売店も気づいていない。AIGLEをご覧のとおり、ただのゴム長も作り方次第でおしゃれで魅力的な商品に変身する。
ところで、まだ実際に履いたことはないが、気になる日本のゴム長靴がある。北海道小樽市の第一ゴム(株)製、フィールドブーツ#1000。シンプルで余計な飾りがないのに好感が持てる。メーカー直販のネットショップで¥10,000。
http://www.kita-marchand.com/shopdetail/003000000002/order/
がんばれ日本の長靴!

4番目のそれ

孤闘」(斉藤実、2003年8月、角川書店)を書店の店頭で見つけた。ほぼ10年前に出版されたロングセラーの帯にこうあった。



書棚の前を通りかかっただけなのに、強烈に問いかけられた。著者の答えは、もちろん帯にはない。しかし私は、4番目のそれに目が止まり、先に読み進むことができなかった。


【欲求】★レベル1

愚かだが、仕方あるまい。それを表現する機会を与えてくれた著者に感謝する。
斉藤実は、1934年、東京・浅草生まれ。38歳でヨットを始め、外洋ヨットレーサーとなる。現在に至るまでヨットで地球を8周している。