2012-12-14

外国語の勉強(主に独学)

経験から、外国語の独学に大事な要素が3つある。「聞くこと」、「量」、「勉強しやすい教材」。加えて「挫折を前向きに考えること」が、特に複数の外国語を勉強するのに欠かせない。

「聞くこと」。正しくは聞き流すこと。意識して聞き取るより、聞こえるに近い。聞く内容や早さは、自分のレベルと同じか、少し難しいくらいがいい。しかし、たとえ難しくて全く理解できなくも、そのうち分かるようになるだろう、くらいに考えて気楽に聞き流す。
「量」。最近はインターネットと小型の音楽プレーヤーが進歩したおかげで、本当に量が聞きやすい時代になった。いつでもどこでも聞ける。(つい30年前はラジオとカセットテープしかなかったのがにわかに信じがたい。)もし量を聞くことが難しくても、読む、書く、話す、何でもいいので、ある程度の量をこなせばいい。いずれ耳が飢えてくる。
「勉強しやすい教材」。本、CD、ラジオ、テレビ、DVD、インターネットのウェブサイト、PCソフト、何でもいい。大事なのは、本人が勉強しやすいと感じること。誰にでも合う教材はない。世間で評価が高くても、買ってみたら自分には合わなかったというのは珍しくない。その時には他のものを探せばいい。使わない教材は授業料を投資したと思って忘れるか、他に欲しい人に譲ることができたらラッキーだと思おう。自分に合った教材を探して勉強するうちに、苦しい時期はあっても次第に勉強のしかたを覚え、外国語を習得していく。
加えて「挫折を前向きに考えること」。外国語の勉強は、失敗が成功より多いと思う。教材を買い揃えたのに勉強をやめると、ただでさえ本人が凹んでいるのに、家族や友人にからかわれたりして痛い。でも、やめてもまた始めればいいのだ。気に入った教材があればいつでも再開できる。そう前向きに考えればいい。これは特に2つめ以降の外国語について言える。数カ国語で積み重ねた失敗が、別の言葉に結実することもあるから、挫折は決して無駄にはならない。

自分の場合、勉強そのものより、挫折してやめるのが趣味と言った方が正確かもしれない。
母語の日本語を除いて、勉強した言葉の数、11(☆英語・フランス語・韓国語・中国語・☆ドイツ語・スペイン語・イタリア語・スウェーデン語・アイスランド語・☆ポルトガル語・ロシア語)。ほとんどが独学。☆がついている3つ、英語、ドイツ語、ポルトガル語が、仕事※や日常生活で使えるようになった言葉。日本語を含めると、頭の中に4つの言葉がある(またはあった)。
そして最近、独学で中国語の勉強を再開した。記憶にある限り、2度の挫折ののち3度目の試み。5つめの言葉になりますように。

【欲求】★レベル1
外国語の勉強が知的な欲求であることに間違いはない。必要で勉強するとはいえ、多くの言葉を習得しようとするのは物欲に近い一種の収集欲のような気がしてならない。せめてレベル2に引き上げるのが今後の課題。

※会議の同時・逐次通訳、あるいは高等教育機関の教員ができるレベルではありません。

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英語 English
小学校6年の時、1つ上の姉が中学校に入学してNHKのラジオ講座「基礎英語」を聞き始めたのを真似して同時に始めた。これが独学の始まりだった。姉は途中でやめた(と記憶している)が、自分は1年続けた。当時はタイマーつきのレコーダーなどという便利なものはなく、目覚まし時計で起き、ラジカセの録音ボタンを押し、カセットテープに録音しながら再び寝て、学校から帰ってから夜に勉強した。おかげで中学校の英語の授業は遊びみたいなもので、学んだことは特になかったように思う。そのまま高校に進み、たかをくくって勉強しないでいるうちにたちまち人並みになり、大学の一般教養では単位を落として4年まで再履修した。それでも英語の授業は楽しかった。先生や教材ではなく、英語そのものが。
社会人になり、最初の1年間は大学入試の英語の勉強をしていた。27歳の時に外資系の会社に転職し、初めて海外に行く機会を得て、研修で英語を使う経験をした。そこで自分の英語が他の社員よりうまいことに気づいた。それまでの積み重ねがあったからだろう。
その会社を辞め、ヨーロッパに2000年から2002年にかけて滞在した時には、デンマーク、スウェーデン、アイスランド、ベルギー、オランダで英語を使った。英語は、滞在している国と自分をつなぐ言葉として重宝した。どの国にも英語を話す人がいた。また、その国の言葉と英語の辞書は必ず本屋で手に入った。日本語の辞書を探しても見つからないか、あるいは見つかっても日本語はアルファベットで書かれていて使いづらかった。その後、日本に帰国してからブラジル人のサッカーコーチの通訳をした時も、当初は英語だった。
英語は今でも、仕事のメールや電話での連絡に日常的に使っている。

ドイツ語 Deutsch
大学を卒業して最初に勤めた会社も、次の転職先の会社も、なぜかドイツ語圏(ドイツ、スイス)に縁のある会社だった。だからというわけではないが、ドイツ語の勉強を始めた。当初はHNKのラジオ講座で独学するつもりだったがうまく行かず、仕事を辞めてドイツ政府が自国の文化を普及させる目的で設置しているドイツ語学校、ゲーテ・インスティテュート Goethe Instiut のローテンブルグo.d.T.校※※で1ヶ月の集中コースに通った。クラスは一番下のG1a(Grundstufe 1a)。しかし当然ながら、1ヶ月のコースだけでは話したいことも話せない有様だった。その後1ヶ月、ドイツ国内で実習や旅行をしてからローテンブルグを再訪すると、多少よくなっていた。日本に帰り、青山のドイツ大使館の裏手にあるゲーテ・インスティテュートの東京校に半年通うと、教科書がThemen Neu 2になった。劣等生だったが何とか授業についていった。
それから1年ほど経った2000年の秋にスイスに渡り、オプヴァルデン州に滞在した際、近くの町、ルツェルンにあったミグロの学校のドイツ語集中コースに通った。教科書は引き続きThemen Neuで、とうとう3に入った。その後、EU各国内外を移動しながらヨーロッパに2002年まで滞在し、地域のスポーツ組織の活動について調査をしたが、ドイツ語圏にいた期間が長く、日常会話には不自由しなくなった。
帰国後は、身近にドイツ人がいないこともあり、使う機会は激減した。
今でも仕事で使うが、年に何回か、ドイツと手紙やメールのやりとりをする程度で、語学力はかなり衰えている。

※※いつの間にか廃校。

ポルトガル語 Portuguese
ヨーロッパから日本に戻ったのは2002年。当然ながら仕事がなかった。ある時、知人の紹介で、英語でブラジル人のサッカーコーチの通訳をすることになった。海外でスポーツに関する調査をしていたら、サッカーが専門でなくても、外国から来た指導者の概念は理解できるだろう、というのが紹介された理由だった。それは当たっていた。日本では不明確になりがちな、教育(教える)とトレーニング(鍛える)、練習(トレーニング)と試合(ゲーム)の区別は容易に理解できた。現場に同行し、通訳を務めた。
そのコーチの契約期間が終わって帰国すると、引き続き英語で、別のブラジル人コーチの通訳を頼まれた。しかし本人に会ってみると、英語が話せなかった。商売あがったり。首を覚悟した。かといって代わりのポルトガル語通訳も見つからなかった。仕方がないので、コーチは日本語、こちらはポルトガル語の勉強を始めた。独学で、本とCDを使って2ヶ月勉強した。それからコーチとともにブラジルに行き、1ヶ月滞在すると、会話でたとえ話程度までできるようになった。帰国してからはポルトガル語で通訳した。これで首にならないと安心した。
3ヶ月である程度話せるようになったのは、仕事がかかっていたことよりも、大学でフランス語を4年間勉強し(一般教養、得意だったが単位が取れず4年まで履修)、さらにスペイン語とイタリア語で挫折を繰り返した、ラテン系の言葉の勉強の積み重ねがポルトガル語に実を結んだからだ。
ちなみにポルトガル語は、聞くのと話すのはできたが、読み書きは苦手で、それまで他人事だと思っていた文盲の心の痛みが分かるようになった。
その後、サッカーコーチの通訳を辞め、他の仕事に就いた。私の住む地域にはブラジル人やポルトガル人はいないに等しいこともあり、ポルトガル語を使う機会は年に1回あればいい方で、語学力は落ちる一方だ。以前はかなり聞き取れていたNHKラジオ第2のポルトガル語ニュースも最近はかなり怪しい。日本国内にはブラジル人が集住している地域があり、そこに行けばきっと何かの役に立つとは思うのだが・・・・。
使わない言葉の能力を維持するのは、乗らない車を毎月車検に出すようなもので、手間がかかる。ドイツ車に加えてポルトガル車もあったらなおさら。そろそろどちらか廃車にしようか考えている。

中国語 汉语 については別のスレッドで。

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